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       Dolly 
             Dear Life:Storise
                  by Alice Munro

Vintage International
Apr., 2014


今回、読書会に取り上げられたのは、昨年ノーベル賞を受賞したカナダ生まれの女流作家、アリス・マンローの最新短編集『Dear Life』の中の一編『Dolly』です。
日本とは違い、「英語圏では長篇小説にくらべ短篇小説の位置づけが総じて低い」(朝日新聞2013年12月8日)にもかかわらず、短篇作家として多くの作品集を出してきたマンローが受賞したことは、欧米における短篇小説の地位の上昇の兆しなのでしょうか。
マンローの作品は、批評家ばかりでなく、fellow writers からも、高い評価を受けており、この読書会で2作品を読んだジュンパ・ラヒリも、"Her work felt revolutionary when I came to it, and it still does." と賛辞を寄せています。(AmazonHPより)

『Dolly』の主人公は、作者自身が色濃く投影されていると思われる、71歳の「わたし」。元高校の数学教師で、現在は、優れた業績がありながら無名であるカナダ人作家たちの伝記を執筆しています。
夫のフランクリンは83歳で、馬の調教師であると共に詩人であり、大学で教えたり朗読などもしています。
「わたし」は誇り高い女性で、自分の意見は決して譲らず、夫ともよく議論をするけれど、実は夫にぞっこんであり、自分ほど夫を理解している者はいないという自負を持っています。
夫が戦争直前、ある女性と二週間ほどの熱愛期間を過ごしたことも、「わたし」は彼の作品を通じてちゃんと知っていますが、自分こそが夫のベストパートナーであるという自信は揺るぎません。
ところが、「わたし」のこの自信が、大きく揺すぶられる事件が突然起こります。

「わたし」がしばらく前から親しくなった、グウェンという同年代の女性。グウェンは、密売で服役中の娘に代わって幼い孫たちの面倒をみなければならない状況にあり、孫たちをあまり親しくもない隣人に預けて化粧品のセールスに回っています。読書や芸術とは無縁の生活を送ってきたらしく、「わたし」のことを「すごく教養があるのに、すごくつきあいやすい」と慕って、何でもあけすけにしゃべりかけてきます。「わたし」は、グウェンのことをやや見下しながらも、「別世界の女性とのつきあいを楽しむ」というスタンスをとっています。
そんなある日、ふとした出来事から、このグウェンこそ、若き日の夫の熱愛の相手だったことが判明するのです。「ドリー」「フランク」と呼び合い、思いがけない再会にとまどって「わたし」の反応を気にしつつも、二人の様子には隠しきれない喜びが・・・「わたし」の心に荒々しい波が立ちます。
衝動的に車に乗って家を出た「わたし」は、感情にまかせて書き綴った「だらだらまとまりがなくなり、どんどん品位や洗練に欠けていった」手紙を夫宛てに投函し、知らない町のモーテルで、薬の力を借りて朝まで熟睡してしまいます。
目覚めた「わたし」がようやく冷静さを取り戻して家に戻ると、フランクリンはひどく狼狽した様子で、グウェンの放つ魔力に負けてしまったと言います。絶望する「わたし」の耳に "Christ, I'm kidding," というフランクリンの言葉が聞こえます。いきなり家を飛び出すなどという行動に出て心配させた妻に、ちょっと仕返しをしたかっただけだと。
安堵と共に感情をぶちまけた後で、「わたし」は、自分たちの年齢を思い、「僕たちには喧嘩してる余裕なんかないんだ」という夫の言葉にうなずくのでした。自分の書いた手紙が到着するのを逃さず、破り捨てなければならない、と思いながら。

すらすらと読めて面白い、とは言い難い小説です。訳もわざとそうした特徴を出そうとしているのか、日本語なのに真意がつかみにくい、何度か読み返して考えながら読まなければならない所が多いように感じました。
プロットじたいは、ホームドラマ風にも、コメディ風にもなるような話なのに、どうも取っつきにくい雰囲気があり、非常に個性的な作品と感じられました。
主な原因は、「わたし」のキャラクター、というかそのプライドの複雑さかもしれません。単に知性と教養の高さを誇るなどという単純なものでもなく、また、いわゆる「女子力」などは全く超越しているようで案外そうでもないようだったり。
フランクリンの「詩」は、読む人によってはかなり顰蹙を買うようなタイプの作品らしいですが、「わたし」にとっては、それも誇りのようです。自分が「文学ではなく、実は数学を教えていた」というような言い方にも、相手に尊敬されるだけでなく、常に相手の期待を裏切り、意表をつかないと満足できないという気持が感じられます。興味深くはありますが、ちょっと疲れるというか、面倒くさい人かも?
前回読んだジュンパ・ラヒリだったら、友人として付き合っていけそうな気がしますが、このアリス・マンローは、友人の友人くらいの距離がいいかもしれません(笑)。

先の朝日新聞記事には、マンローの恋愛小説は「小説的に見ても恋愛的に見ても、間違いなく上級者向けにあたる」という評も紹介されていました。この評は、マンローの小説も訳している村上春樹氏の評です。
しかし、この作品に限っていえば、「わたし」の夫への愛は、非常にプリミティブというか、思春期の恋のように不安定というか、「上級者」という言葉にはちょっと首をかしげてしまいます。
もっとも、「お互い空気のような存在」などという、安易で安直な安心感にひたって生きている高齢世代の日本人には、何も言う資格はないかもしれませんが・・・

ラストシーン、もし手紙が届いても読まないで破り捨ててほしいと頼めば、夫ならそのとおりにしてくれる、自分だったらどんな約束をしていようと、手紙を開けて読んでしまう、というのも印象に残った所です。これは男女の差なのか、それともフランクリンにとっての「わたし」は、「わたし」にとってのフランクリンほどに大きな存在ではないということなのか?
フランクリンも、本当のところどういう男性なのか、というのも今いち掴みきれません。「わたし」の思っているような懐の大きい自由人であり芸術家なのか、それとも単なる女好きのちょいワル親父なのか?

「面白かったからまた読みたい」というよりも、「一つ読んだだけではよくわからないので、また別のを読んでみたい」と思わせる作家、アリス・マンロー。そうして読んでいくうちに、だんだんハマって行くのかもしれません。

 (∀)

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